仏像名

ふりがな めけれんりゅうぞう

興福寺
制作年代

国宝
奈良時代

目健連立像

様 式

天平六年(734)

俗称又
は愛称

製作材質

脱活乾漆造
彩色

樹 種

像 高

149cm

製作者

安置場所

国宝館

開扉期間

解 説

 二千六百年程前、インドで仏教を始められた釈迦は、成道されて弄い四十五年間にわたって、インド各地で人々に説法を行って、多くの弟子を得た。弟子達はさらに釈迦の教えを広めた。
 釈迦はインドに十六大国あった中でも、特に栄えていたマガタ国とコーサラ国の説法に力を入れていたので、この二ヵ国に弟子が多い。
 生涯1250人の直弟子が居たとされ、中でも傑出した十人の高弟を十大弟子と呼ぶ。十人の名は、経典によって異なるが、興福寺の場合は、「維摩詰所説経」「弟子品」に説かれる。
 大迦葉(だいかしょう)、阿那律(あなりつ)、富楼那(ふるな)、迦旃延(かせんえん)、優婆利(うばり)、羅候羅(らごら)、舎利仏(しゃりほつ)、目ケン連(もくけんれん)、阿難陀(あなんだ)、須菩提(すぼだい)を指す。乾湿造りでいずれも剃髪し、袈裟を着し、板金剛をはき、洲浜座に両足を揃えて直立する。
 十大弟子はインド人なのに、これらの像は日本人の顔立ちにする。顔の表彰、手のかたち、袈裟の襞の起伏や流れに変化を持たせ、それそれに個性的な表現を取る。
 地獄で苦しんでいる母を神通(超自然的な能力)で救い出したのをはじめ、神通に優れていたので神通第一の人と称された。
 羅候羅の得度の際には目犍連が髪を剃り、舎利仏が戒師となった。像は真っ直ぐ正面を見て、両手で何かを抱え持つ。
「法相宗大本山 興福寺」より

私 の 想 い

 この方は、両手が胸の前にあるのだが、手首から先がない。これだけいずれの方の手もないと言うことは、やはり、焼き討ちや騒乱の際に敵方が、破壊した仕業に違いない。
 落語では、モクレンさんと言われていたのではなかったか。額にしわを寄せて難しいお願いを引き受けてしまったのではないか。
 お顔の真ん中に眉目が集まっている感じの方である。想像するに、お布施の鉢を持って居たに違いない。
 お布施を頂きながら、その人の訴えを聞き、更に悩んでしまい、解決方法をどの様に説明しようか考えている。
 平成21年4月に東京国立博物館で開催の「国宝 阿修羅展」での拝観では、次のように書いている。今回の私のテーマは田相衣がどのようになっているかである。
 田相衣で全身を覆う。黒い筋がどのようになっているか。

右真横に1本
後ろの右よりに1本
真後ろに1本
左真横に1本
大きく黒い縦筋が4本入っている。
ぞうり履きである。

目けん連立像画像一覧
目けん連立像
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興福寺4(国宝館所蔵仏像)
仏頭(銅造) 仏頭(木製)
阿弥陀如来坐像 釈迦如来坐像 釈迦如来立像
薬師如来坐像 千手観音立像 観音菩薩立像 地蔵菩薩立像
天燈鬼立像 竜燈鬼立像 金剛力士(阿形) 金剛力士(吽形)
梵天立像1 帝釈天立像 梵天立像2
弥勒菩薩半跏像 吉祥天倚像 広目天立像
八部衆像
阿修羅立像 五部浄立像 鳩槃茶立像 緊那羅立像
乾闥婆立像 迦楼羅立像 畢婆迦羅立像 沙羯羅立像
釈迦十大弟子
富楼那立像 羅睺羅立像 目犍連立像
迦栴延立像 舎利仏立像 須菩提立像
板彫り十二神将像
毘羯羅 招杜羅 真達羅 摩虎羅
波夷羅 因達羅 珊底羅 額儞羅
安底羅 迷企羅 伐折羅 宮毘羅
興福寺1(北円堂)
興福寺2(東金堂)
興福寺3(仮金堂)
興福寺4(国宝館)
興福寺5(南円堂)


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