仏像名

ふりがな しゃりぶつりゅうぞう

興福寺
制作年代

国宝
奈良時代

舎利仏立像

様 式

天平六年(734)

俗称又
は愛称

製作材質

脱活乾漆造
彩色

樹 種

像 高

154cm

製作者

安置場所

国宝館

開扉期間

解 説

  この十大弟子像は、先の八部衆像と一群をなし、興福寺西金堂の釈迦の眷属として制作されたものである。十大弟子とは、いうまでもなく釈迦の十人の高弟をいい、元は十躯あったのであるが、明治初年の荒廃期に、一部は民間に出て、大正の大震災に焼け、今日では六躯が残っているに過ぎない。舎利仏立像、目犍連立像、須菩提立像、富楼那立像、迦栴延立像、羅睺羅立像がそれである。この名称も寺伝に従う。
 興福寺西金堂の造営については、正倉院に伝わる古文書に詳細な記録があり、これらの像が将軍万満の監督の下に造られた事を知る事が出来る。十大弟子像も八部衆像と同様脱乾漆造であるが、乾漆像の制作には大量の漆を必要とする。先の記録は奈良時代の漆の価を伝えているが、漆は当時もたいへん高価で、西金堂の仏像等に要した漆の値は、実に西金堂の建築費そのものとほぼ同額であった事が判る。
 十大弟子像の方は、修理もかなり甚だしく、乾漆の乾燥により躯幹の歪みが多少現れている。彩色は殆んど鎌倉時代の補彩。台座は、迦栴延、羅睺羅が乾漆を併用した洲浜座を残す以外は、後のもの。
「日本の彫刻 上古~鎌倉」 美術出版社 1966年より

私 の 想 い

 十大弟子の六像は、どの方も直立して肘を折って、懐手をしているような人が多い。右手は、肘を折って胸の前にある。手首から先がないので、どんな形の手をしていたのか判らない。
 左手は二の腕のところからすっぽり抜けてしまい、木心だけが残る。真直ぐ伸びた木心を見ると、左手はそのまま下に降ろしていたのだろう。
 端正な顔の青年僧である。まじかな物でも見ているのだろう。それにしても静かに見ている物はなんだろうか。民衆の生活ぶりを見ているのだろうか。
 平成21年4月に東京国立博物館で開催の「国宝 阿修羅展」での拝観では、次のように書いている。今回の私のテーマは田相衣がどのようになっているかである。
 田相衣で全身を覆う。黒い筋がどのようになっているか。

正面真中に1本
右真横に1本
真後ろに1本
左真横に1本
大きく黒い縦筋が4本入っている。
 左腕の肘から先は木心のみが出ている。右腕は肘を曲げて胸に抱え込む。完全に右マヒと思える姿である。
ぞうり履きの修行中である。

舎利仏立像画像一覧その1
舎利仏立像画像一覧その2
舎利仏立像
興福寺に戻る
興福寺画像一覧 興福寺の写真が楽しめます。
興福寺花華一覧 興福寺の花華が楽しめます。
興福寺4(国宝館所蔵仏像)
仏頭(銅造) 仏頭(木製)
阿弥陀如来坐像 釈迦如来坐像 釈迦如来立像
薬師如来坐像 千手観音立像 観音菩薩立像 地蔵菩薩立像
天燈鬼立像 竜燈鬼立像 金剛力士(阿形) 金剛力士(吽形)
梵天立像1 帝釈天立像 梵天立像2
弥勒菩薩半跏像 吉祥天倚像 広目天立像
八部衆像
阿修羅立像 五部浄立像 鳩槃茶立像 緊那羅立像
乾闥婆立像 迦楼羅立像 畢婆迦羅立像 沙羯羅立像
釈迦十大弟子
富楼那立像 羅睺羅立像 目犍連立像
迦栴延立像 舎利仏立像 須菩提立像
板彫り十二神将像
毘羯羅 招杜羅 真達羅 摩虎羅
波夷羅 因達羅 珊底羅 額儞羅
安底羅 迷企羅 伐折羅 宮毘羅
興福寺1(北円堂)
興福寺2(東金堂)
興福寺3(仮金堂)
興福寺4(国宝館)
興福寺5(南円堂)


NO14th-butuzou