仏像名

ふりがな てんとうきりゅうぞう

興福寺
制作年代

国宝
鎌倉時代

天燈鬼立像

様 式

俗称又は愛称

製作材質

木造、玉眼
彩色

樹 種

像 高

77cm

製作者

安置場所

国宝館

開扉期間

解 説

両像は、もと興福寺の西金堂に安置されていたものと伝えられるが、西金堂焼失後は居所を失っている。「興福寺雑録」の記載によれば、竜燈鬼像の胎内には、建保三年(1215)四月二十六日、康弁の作である由を伝える墨書があると記されている。
 康弁は、運慶の第三子で、法眼にまで叙せられた鎌倉前期の仏師であるが、他に遺品はない。両像は明らかに一対をなすものであるが、その姿勢から、頭髪、眉に至るまで意匠を変えている。
 このため、両像の作者は違うと考える人もあるが、これは、この像が多分に芸的な要素を持っているためで、いずれも康弁の作と考える方が自然である。燈籠は二つ共後のものであるが、台座は当初のもののようである。
「日本の彫刻 上古~鎌倉」 美術出版社 1966年より

 もと興福寺西金堂に安置されていた。仏前に燈籠を捧げ持つ一対の鬼形である。龍燈鬼像内に建保三年(1215)、仏師法橋康弁が造った事を記す書付けが入っていたという記録がある。
 腰を捻って肩に燈籠を担い、怒号する天燈鬼、頭上の燈籠を上目遣いに睨み、これを支える事に集中してじっと立つ龍燈鬼、それぞれが卓抜な意匠であるが、また動と静の対照が妙である。
 作者康弁は運慶の三男と見られ、これより三年前の北円堂造像では四天王の一体を分担していた。本像でも大掴みな塊量的表現に師風を良く体得している事が示され、表情と身振りの巧みな表現により、空想的な鬼形に人間的感情を付与し得ている。運慶二代目の世代による師風の見事な変奏といえよう。
 いずれも檜材寄木造、玉眼嵌入。天燈鬼は腰の辺りで上半身と下半身の材を分け、上半身は頭、体通して前後に矧ぎ、下半身の基本部は正中線と両側を縦に矧ぐ。肉身は朱彩。眉と顎に植毛した痕がある。
 龍燈鬼は頭、体の基本部を左右矧ぎとする。肉身は緑青彩。顎に植毛した痕があり、眉は切抜きの銅板製、牙に水晶を用い龍の背鰭を皮製とするなどの工夫が凝らされている。燈籠はいずれも後補。
「運慶と鎌倉彫刻」 小学館 1973年より

私 の 想 い

 左肩に担ぎ上げた灯篭を左手の平で支えて、平衡を保つ。右手は拳を握って肘を伸ばして、身体のバランスを取る。
 筋骨隆々の身体を誇示しながら、大きく口を開け、牙を剥きだす。粗末な腰布を巻いただけの邪鬼である。
 龍燈鬼と共に阿吽を形成している。良く見ると牙は上顎に付いているのに、上を向いている。

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天燈鬼立像
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