仏像名

ふりがな ぼんてんりゅうぞう

興福寺
制作年代

    重文
鎌倉時代

梵天立像

様 式

建仁二年(1202)

俗称又は愛称

製作材質

木造、玉眼
彩色、切金文様

樹 種

ヒノキ

像 高

181cm

製作者

定慶作

安置場所

国宝館

開扉期間

解 説

もと興福寺東金堂の像であったと思われ、鎌倉再興時のもの。像内背面に墨書銘があって建仁二年(1202)、大仏師定慶、小仏師盛賀及び定賀により造られた事が知られる。
 この前に同じ定慶を大仏師として造られた帝釈天像(根津美術館現蔵)と一具をなしていた。定慶は康慶門下と思われるが、運慶、快慶と同時期に活動をしながら、また独自の作風を造り出した。
 この像でも抑揚のある肉付けや薄い布などの質感表現に写実的手法を用いながら、風をはらんで丸く張った袂の中などの凹所を利用して、独自の奥行の表現をなしている。
 檜材の寄木造で玉眼嵌入。頭、体の幹部は前後矧ぎで、首枘を割り矧ぎとするらしい。赤と緑の対照を基調にした鮮やかな彩色や力強い大柄な彩色文様にも、鎌倉の新風が示されている。
「運慶と鎌倉彫刻」 小学館 1973年より

 興福寺旧像の帝釈天立像は、(現在東京 根津美術館蔵 像高183cm)と一対をなす梵天像で、国宝館に安置される。共に像内に造像銘があり、帝釈天像には、建仁元年(1201)十二月の年紀と大仏師定慶及び戌(盛か)賀・永賀・慶賀・定賀の名がみえ、梵天像には、建仁二年三月の年紀と大仏師定慶、少仏師盛賀・定賀の名が見える。その伝来については、西金堂所在との伝えもある。
 しかし、西金堂では、本尊両脇侍の薬王・薬上菩薩立像が、本像に遅れて建仁二年八月、九月に発願造立されている。
 これに対し、東金堂では、本像よりも早く文治三年(1187)、に本尊薬師如来像と両脇侍像が安置され、建仁七年(1196)、には、定慶によって維摩居士坐像が造立されている。こうした事から、この像は旧東金堂像であると考えられる。
 作者定慶は、康慶門下の奈良仏師で、在銘作品としては、東金堂諸像のほか、寿永三年(1184)、の春日大社舞楽面散手がある。
 また、現在、南円堂に安置される四天王像を、本来東金堂に安置された定慶作品と見る説もある。
 その作風は、宋風を摂取した細部の装飾性と、抑揚を強調した肉身の現実的表現に特徴があり、同門の運慶・快慶とは異なる個性が看取される。
 本像においても、両肩上で大きく花弁形に広がる襟の形に、旧浄瑠璃寺吉祥天厨子絵の弁財天像などに通じる。華やかな宋風の意匠が採用されている。
「興福寺国宝展」 東京芸術大学美術館 2004年 より

私 の 想 い

 右手は脇を締めて肘を折り、前に出し手首を返して、掌を正面に五指を揃えて向ける。左手も脇を締めて肘を折り、前に出して腹に着け、拳を握っている。
 頭は秋篠寺の伎芸天と同じように高く結い上げた髪型をしている。船形の沓を履き衣が垂れて脚は見えない。

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興福寺4(国宝館所蔵仏像)
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