仏像名

ふりがな くびら

興福寺
制作年代

国宝
平安時代

宮毘羅

様 式

俗称又は愛称

製作材質

木造板彫り
彩色、切金文様

樹 種

ヒノキ

像 高

94cm

製作者

安置場所

国宝館

開扉期間

解 説

 厚さ3cm程度の檜の板から十二神将を半彫りした珍しい作例。十二面全部が現存しているが、本展では伝宮毘羅大将と伝真達羅大将が出品されている。
 猫背風に両肩をあげ、左斜前方を見据える宮毘羅、正面を向き、口を「へ」の字に曲げて合掌する真達羅。共に髪を逆立てて怒りの表情を示すが、ユーモラスな雰囲気をたたえている。
 自在な彫り口、面と面の微妙な段差と起伏によって、浮き彫り像とは思えないほどの立体感と奥行が表され、制約された方形の枠内から前面に飛び出して来そうな迫力ある造形を示している。
「興福寺濫肖觴記」の東金堂の項目に、この板彫像に相当すると見られる十二神将の記載がある。東金堂は薬師如来を本尊としているので、仁和寺旧北院の薬師如来像(白檀製)や教王護国寺金堂の薬師如来像の例から考えて、この板彫像は東金堂の薬師像の台座の側面を、囲むように貼られていたものと推定される。
 大江親通(?1151)の「七大寺日記」や「七大寺巡礼私記」による元興寺金堂の中尊弥勒如来像の後の厨子にこのような浮き彫り製で、玄朝の絵様に基づいて造られた三尺ほどの十二神将像があったという。
 玄朝(源朝)は元興寺に住み、十世紀末頃に活躍した画僧である。現在醍醐寺には玄朝筆の添え書きのある不動明王と二童子の白描図像が伝えられているが、その中に描かれた制咤迦童子の誇張を交えたユーモラスな姿はこの板彫像に通じる趣があり、この板彫像にも玄朝様が反映されていると考えられる。
 更にその大きさが、「七大寺日記」に記載されている元興寺金堂の像と一致することも興味深い。こうした点から、この板彫像と元興寺金堂に、あったという像と同一の作と見て、後世元興寺から興福寺に移入されたと、推定することも可能であるが、前記したように東金堂の像として、もともと興福寺で造立されたことも考えられるので、俄かには断言できない。
 太造りな体躯や衣文の一部に、翻波を交えた表現には古様さもあるが、誇張された表現の中にも品位を感じさせる作風には、十一世紀後半の天部像に通じる要素もあり、製作時期は玄朝様がかなり息ずいて、見られる十一世紀半ば頃を想定して良いと思われる。
 なお、当初は彩色が施されていあたが、現在はほとんど剥落している。
「特別展 大和古寺の仏たち」 1993年 東京国立博物館より

私 の 想 い

 剣を右肩に担ぎ思案している。むしろ、立って寝ていると言った方がいいかも、知れない。
「おい。寝るなよ」
と、声を掛ける。

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興福寺4(国宝館所蔵仏像)
仏頭(銅造) 仏頭(木製)
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富楼那立像 羅睺羅立像 目犍連立像
迦栴延立像 舎利仏立像 須菩提立像
板彫り十二神将像
毘羯羅 招杜羅 真達羅 摩虎羅
波夷羅 因達羅 珊底羅 額儞羅
安底羅 迷企羅 伐折羅 宮毘羅
興福寺1(北円堂)
興福寺2(東金堂)
興福寺3(仮金堂)
興福寺4(国宝館)
興福寺5(南円堂)